大戦シリーズの中でも現大戦は登場人物が最も多い作品となりました。
が、まだまだ三国志大戦には出てきてない人物がいっぱい居ますよね。
その中でも私が出てほしいなと思っている人物を、各勢力ごとに数名、簡単な紹介とともに挙げていきたいと思います。
魏
・董昭
袁紹→張楊と仕え、献帝の長安脱出時に合流。のち、曹操を洛陽に迎え入れるために楊奉配下の徐晃と図って楊奉ら白波賊を追い出す。
曹操の魏公・魏王就任などに功有り。司徒にまで登った建国の功臣。
・韓浩
夏侯惇に見いだされ、曹操の幕僚として仕えた。
曹操に棗祗(そうし)と共に屯田を献策した人物として有名。演技では韓玄の弟になってるけど実際は関係ないです。
・杜襲
政治家。知識人を多く排出した潁川の出身。荀彧、鍾繇の推挙で抜擢された。
漢中では軍を監督(主将は夏侯淵だが、その上に立つまとめ役)するなど、曹操の信頼が厚かった。
蜀
・董和
大戦登場武将をチェックしてて「えっ出てないってマジ?」と思った一人(まあ陳震や譙周も出てないしな…)。
蜀の政治家。董允のパパ。有能な事務官。
・劉巴
法正死後に劉備の尚書令となった政治家。
曹操→劉璋→劉備。父は孫堅と組んで南陽太守張咨(ちょうし)を殺した劉祥。孫堅はこのあと袁術を南洋に迎えている。
曹操の元で荊州南部にいたころ、そこを劉備が奪い、劉巴は劉備に仕えたくなくて交州経由で益州へ逃げた。
呉
・孫賁(そんふん)
孫堅の兄の子。孫堅死後に呉景や弟の孫輔と共に袁術に仕える。孫寒華の祖父。
袁術配下として活躍したが、袁術が帝位を僭称すると孫策に従った。
・徐コン(コンは王へんに昆)
孫堅の妹の子。徐夫人の父。孫堅、孫策に従って転戦し活躍。しかし孫権が父の仇・黄祖を攻めた時に流れ矢に当たって戦死。
・潘濬(はんしゅん)
劉表→劉備→孫権。呉で内政能力の高い政治家を挙げろと言われたら筆頭で名前が出てくる人物。政治家かつ軍司令。
関羽配下で荊州の内政を取り仕切っていたが、関羽敗北により孫権に仕え、功績を上げて重鎮となった。
漢
・臧洪(ぞうこう)
張超(張邈の弟)→袁紹(のち絶縁)
信義に厚く、配下に慕われた東郡太守。張超への援軍を許可しなかった袁紹と敵対し、攻め滅ぼされた。
・周キン(キンは日へんに斤)
丹陽太守として袁術、孫策と戦った。最後は王朗配下として戦うも敗北して斬られる。弟の周昴・周ウも別の地域で孫策と交戦している。
・劉循
劉璋の子。侵攻する劉備を雒城で1年食い止めていた。当時既に張任・鄧賢らは敗北し、綿竹の李厳は降伏していたような状況で、戦の経験値に勝る劉備相手にそんなに持ちこたえられたのか不思議でしょうがない。実は指揮をとっていた劉循は名将なのでは?
晋
・王戎
竹林の七賢の一人。卑弥呼を晋所属にするくらい人がいないような態度を見せるくせに王戎出してないとかSEGAマジか?!と目を疑った。
呉へ一斉侵攻した時の司令官の一人。
あんまり性格は良くないが(世説新語に吝嗇家としてのエピソードがある)、功績はあったようで最終的に司徒まで出世している。
・諸葛緒
諸葛誕や諸葛亮と同じ琅琊諸葛氏の出身。軍人。鄧艾や鍾会と共に蜀攻めに参加した指揮官の一人。
群雄
・楊奉
白波賊→李傕→袁術→呂布
同じ白波賊の出身である韓暹が出たんだから楊奉も出して欲しい。徐晃の元上司。戦に強かったが所属する勢力に恵まれなかった感。
・闕宣(けっせん)
下邳を根拠地にして陶謙と手を組んでいた群雄。郡一個で天子(つまり皇帝)を名乗っていた袁術以上の恐れ知らず。
陶謙と共に泰山郡(当時曹操勢力下)に侵攻するも失敗、のちに陶謙に殺される。陶謙が闕宣の兵と下邳を欲しがったのだろうか。
ちなみに演義だと徐州の治所は下邳っぽく見えるけど、本来は陶謙のいた郯(だん)です。
軽く見回してもこれくらいはいますね。
政治家は挙げすぎると魏が盛り盛りになるので控えめにしました(辛毗袁遺裴潜毛カイ趙ゲン…)。
有名所や名前だけの女性を出すのもいいけれど、まだ出てない人物にももっと出番を下さい!
※関係ない話※
笮融、諸葛靚って大戦だと窄融、諸葛靜っていう漢字になってるんですが出典違いによる表記ゆれみたいなものでしょうかね?
知らないだけでそういう漢字違いが他にもいるかも。
ほとんど知らないw
・
>劉循 侵攻する劉備を雒城で1年食い止めていた。
…これって一人で戦って1年ですか? 横山版では一人で逃げ帰っていた記憶がw みんなで戦ってトータルで1年の印象が?
・
>卑弥呼を晋所属にする
これは確かに納得できませんねえ。なぜに。
・
>同じ白波賊の出身である韓暹が出たんだから楊奉も出して欲しい。
なんでしたっけ。陳珪の寝返り工作に乗った人でしたっけ。横山版に未登場の韓暹が大戦に登場して、楊奉は未登場なのはちょい意外ですね。
>徐晃の元上司。戦に強かったが所属する勢力に恵まれなかった感。
徐晃と一緒に曹操に帰順すれば良かったのに。吉川版だと一時期は天子も手中に収め、曹操の勢力拡大が面白くないので反撃して失敗しましたね。所属云々というより身の程を知らずに渡り歩いていただけのようなw
・
>董昭 袁紹→張楊と仕え、献帝の長安脱出時に合流。のち、曹操を洛陽に迎え入れるために楊奉配下の徐晃と図って楊奉ら白波賊を追い出す。
すっかり忘れていましたw 楊奉云々でやっと思い出した。
不平組の楊奉達は落ち葉みたいなものだから適当な時に掃いて燃やしてしまえばよい、そんな事より旧派閥のいる洛陽よりも許昌へ遷都すべき、と進言した方でしたね。
劉循:配下に優秀な人材が居たのは確かだろうけれど、司令官の実力はそれを統率することも含まれるというのが私の考えです。
楊奉:そうですね、工作をかけたのは陳珪です。献帝配下中は車騎将軍をなってます。ちなみに当時曹操は袁紹派(劉虞推戴論者なので反献帝と見られてた)で、それに抵抗した袁術が表向き親献帝と見られていたので、献帝のために働いていたけど追い出されたという人物が袁術のもとに行くのは不思議ではないです(呂布も洛陽を追い出された直後は袁術を頼った)。その後のムーブのせいで袁術の化けの皮が剥がれましたけど。なお演義では忠義の士っぽいけど史書だと権力欲まみれの董承が楊奉を邪魔に思って董昭らと組んで追い出した説もありますね。